2023.12.02
ピース綾部祐二「アメリカに行きたいから、行っただけ。やりたいことをやっている、ただそれだけ」
6年前、いきなりニューヨークへと旅立ったピースの綾部さん。人気芸人としての名声も収入も捨てて、何の伝手もない国へと旅立った彼を皆が無謀だと言いました。けれど、彼は違うと言います。「僕は何も捨てていない」というその言葉の真意とは?
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文/相川由美 写真/トヨダリョウ 編集/森本 泉(LEON.JP)
しかし彼はそれから一度も日本に帰らず、アメリカでの暮らしを続けました。いまだ向こうでスターになったわけでもなく、それどころか、英語力も理想には程遠いと言います。それでも6年ぶりに日本に帰ってきた彼は泣き言一つ言うでもなく、相変わらず楽しそうで、アホみたいに前向きで、渡米する前以上にたくましくなったような印象です。
久しぶりの帰国の報にメディアは沸き、出演依頼や取材依頼が綾部さんのもとに殺到したはずですが、しかしこちらで行ったのはピースとして又吉さんとトークショーを1回するのとほんのちょっとの取材対応だけ。なのになぜかLEONのインタビューは受けてくれたのです。ありがとう綾部さん。取材は約1カ月の日本生活を終えて、アメリカに帰国する前日。それでは、日本への置き土産に渡米生活の本音を聞かせてください。
この6年間、声を張る必要もなかったので、声が小さくなった
綾部祐二さん(以下、綾部) そうですね。特に深い意味があるわけではないんですけど、せっかく帰るんだったら、ライブで会うのがいいのかなぁと。とはいえ、ネタをやるわけでもなく、とにかく「舞台上で会おう」というのだけ何となく決めてたんです。
── 6年ぶりの再会が、舞台上というのはロマンティックですね。
綾部 逆に、僕がそんなことを言いだしちゃったから、スタッフさんとか、いろんな人が、ふたりを会わせないように楽屋裏で別々にするのに、すっごい大変になっちゃって。トイレに行く時も会わないようにって、本番前にめちゃくちゃバタバタしました。
綾部 これが不思議なもんで、渡米して2年後ぐらいに、さまぁ~ずさんがニューヨークにいらっしゃった時にも同じことを言われたんですよ。おふたりがホテルのバーで飲んでいらっしゃるところに僕が行って、お話してたら、「綾部、なんかツッコむ感じが変わったな。あと、声がすごく小さくなった」って。それはやっぱり、この6年間の日常で、「いや、ちょっと!」ってツッコむタイミングがなかったですし、舞台とかテレビに出てた時みたいに、声を張る必要もないですからね。それで今回、トークライブを2時間半やったあとに、ノドがめちゃくちゃ筋肉痛になって、「あ、やっぱそうなんだ」と思ってビックリしました。
綾部 単純に楽しかったというのが一番ですね。お客さんが目の前にいて、相方がいて、あとは配信で見てくださってる方々もいたんですけど、やっぱり舞台はいいなって。そういう人前でしゃべるっていうのは、楽しくて気持ちいいもんだなって。
── また漫才とかコントをやりたいと思いましたか?
綾部 それはないです。僕は他の芸人さんのネタを見るのは大好きなんだけど、自分がネタをやるのにはぜんぜん興味がないタイプの芸人なんで(笑)。賞レースとか、キングオブコントとかも、「出ないでいいですか?」って言ってくらい。作品として何かネタをやるとか、単独ライブとかにもあまり興味がないんです。
── 今回も、テレビの出演依頼がたくさんあったのでは?
綾部 本当にありがたいことに、こんな6年も日本を離れてる人間に対して、僕個人にも、コンビにもオファーをいただいたんですけど、直感的に、あのトークライブだけでいいのかなって思ったんです。
渡米は、すごく惚れちゃった女性に「もうつき合いに行こう」って感じ
綾部 子どもの頃からずっと、映画とかを見て、漠然とアメリカへの憧れがあったんです。何よりも、2015年に初めてニューヨークに行った時に、今まで陥ったことがない感情にとらわれて。怒り、悲しい、うれしい、楽しい、切ない。そのどれでもない、「この気持ちは何なんだ? 今、俺が感じているのは、どういうジャンルの感情なんだろう?」と思って。
37か、38歳ぐらいかな。「自分にもまだ、こんなことが起きるんだ!」って、その時の感情にかなり引っ張られたというか。女性でいうと、すごく惚れちゃって、ず~っと気になって忘れられないから、「もうつき合いに行こう」って、渡米した感じですかね。
── そこまで強烈に魅かれる、ニューヨークの良さってどこにあると思いますか?
綾部 日本と比べると、マイナス点が山ほどあるんですよ。街も汚いですし、犯罪も多い、ホームレスもたくさんいるし、渋滞もひどい。でも、世界中の人が集まっていて、ニューヨークが好きだと言ってるんですよね。それでいて、どこが好きなのか、ハッキリ答えを出せずにいたりする。そこが一番の魅力なんじゃないですかね。たぶん、言葉ではなくて、フィーリングなんだと思います。
僕の場合は、自分の体内にある遺伝子とか、いろんなものがカチッと合った気がします。あとは、ニューヨークの街で人を止めて、「どちらの出身ですか?」って聞いたら、たぶん1時間の間に、とんでもない数の出身国の名前が出てくると思いますよ。そこもおもしろいところですよね。
でも、今回、日本に帰ってきて、外国人の多さにビックリしました。アメリカにいるワイフと電話している時に、まわりからたくさん英語が入ってきて「今、どこにいるのよ?」「原宿だよ」って言ったら、驚いてました(笑)。
綾部 そうそう。僕はアメリカにいて普通にご飯を食べてても、英語がぜんぜん入ってこないんです。なんとなくこんなこと言ってるんだろうなって予測でしかない。でも、日本に帰ってきて空港に着いてから、どこに行っても、すべてが入ってくるんでビックリしましたね。みんな自分に話しかけてんのかな? ってぐらい(笑)。3週間いたら慣れて、そんなに拾わなくなりましたけど、アメリカでは、まわりがぜんぶ日本人っていう環境がなかったので、それはぶったまげましたね。
6年間住んでも変わらずアメリカが好きでいられることが幸せ
綾部 それって、日本人の独特の考え方なんじゃないですか。僕は、全然特殊なことをしてるつもりはないんですよ。今まで積み上げてきたものだって捨ててないし、全部ここにある。ただ、違う棚に新しく違うものを積み上げているだけなんです。みなさんが「すごいですね、いきなり渡米して」って言うけど、誰かに無理やり行かされてるわけじゃなくて、僕は自分でアメリカに行きたいから、行っただけなんですよ。何をみんな、そんなに驚いてるのか、不思議なくらいです(笑)。
── 若い時だったら、向こう見ずな勢いで行けそうな気もするんですが……。
綾部 でも、若い時って、お金も経験もないじゃないですか。大人になってからだと、経験と、ある程度の経済力もある。なぜそこで選択肢から外れちゃうんでしょうね。ただ、実際に結婚して子どもがいたら、躊躇するのはわかりますよ。僕自身も、数年先を見て生きてるタイプなので、結婚しちゃうと自分のやりたいことができなくなるよな、と思ってしなかったところもありますし。もし子どもがいたら、ニューヨークに行くっていうふうにはなってなかったかもしれないですね。
── 経済力ということでは、お金を準備して渡米されたんですか?
綾部 もちろん、そのために貯金もしてましたよ。ただ、これは極論ですけど、たとえば、「3年間で1千万円貯めてから、どこかに行こう」っていうよりも、「1千万円借りて、今、行きたいところに行こう」っていう考え方を僕は持ってるんです。どちらにしろ、1千万円はあとで稼ぐしかないけど、その3年間はどうやっても返ってこないじゃないですか。
これは洋服とかもそうですけど、「わぁ、20万円のジャケットか、高いなぁ」と思った時、この先、20万円と出会うことはあっても、このジャケットとはもう出会わないですよね。僕はやっぱり20万円のジャケットを買う派なんですよ。そこで借金して、心がえぐられても、欲しいジャケットを選ぶ。それと同じパターンですよ。ニューヨークに行くのに、僕は借金しなかったけど、お金がなかったら借金しても行ったと思います。
綾部 そうですね。しかも、僕の場合、6年間住んでも変わらずにアメリカが好きで。たまに「ずっと観光客のままじゃねぇか」って言われるんだけど、それって幸せな人間じゃないですか? 例えば、初めて食べたラーメンを「わぁ、おいしい! こんなの食べたことない」って言って、それを毎週食べても飽きずに、10年経っても「あぁ、うまいな!」って言える人と、それを半年食べたところで、「もう充分かな」って言う人と、どっちが悪いってわけじゃないけど、ずっとひとつのラーメンを思い続ける人のほうが幸せそうじゃないですか?
── なるほど。そう言われるとそんな気もします。
綾部 これの究極が、僕は女性だと思うんですよね。初めて好きになって惚れこんだ女性を、結婚して40年経ってもずっと新婚ラブラブの感じで好きでいられたら、みんな「変わらない愛が素敵」って絶対なりますよね。ところが、6年経ってもアメリカが好きでいる僕に「いつまで観光客気分なの?」って、愚かな話ですよね。ラーメンと愛とアメリカ、この3つの違いを俺に定義してくれ、どうぞ俺を論破してくれって思うんですよ(笑)。
僕は、人に何と言われようが、好きなものはずっと好きで。東京に出てきてからも、原宿、表参道、青山界隈が大好きで、今回も帰国して3週間ずっと、ほぼその街にしかいなかったんです。今日も、この取材の前に原宿に行って買い物してきました。
綾部祐二(あやべ・ゆうじ)
2000年デビュー、03年、又吉直樹とお笑いコンビ「ピース」を結成。10年にブレイクを果たし、一躍人気タレントに。人気絶頂の16年、アメリカに拠点を移すことを発表。9本あったレギュラー番組すべてを降板し、17年10月にニューヨークへ移住。22年5月には渡米5周年を機にロサンゼルスへ移動し、YouTubeチャンネル『YUJI AYABE from AMERICA』を立ち上げるなど、夢の実現に向け精力的に活動している。